喜楽家きらくのいえ

社会福祉法人 彩会いろどりかい

理念

喜楽家の歩み

沿革
2012.07 法人10周年祝賀パーティー
2007.04 喜楽家とネオ・キラクが再び合併し、生活介護事業所 喜楽家としてスタート
2004.04 ネオ・キラクも小規模通所授産施設となる
2002.04 法人発足 身体障害者小規模通所授産施設となる
小規模福祉作業所(ネオ・キラク)設立
1997.11 オーストラリア交流研修旅行
1996.05
07
高尾山山登り
20周年祝賀パーティー
1985.07 10周年記念パーティー
1981.08 第1回サマーキャンプ実施(93年まで毎年実施)
1976.07 喜楽家設立

歴史

喜楽家は、昭和51年に松戸養護(特別支援)学校(肢体不自由)の卒業後の進路としてできた松戸市には初めての通所の施設です。はじめは無認可の通所施設、その後小規模福祉作業所の制度ができて作業所となり、平成14年にザザビー・ドゥとともに社会福祉法人をとり 『身体障害者小規模通所授産施設』となりました。同時に『小規模作業所ネオ・キラク』を作り、二つの施設に分かれて活動していました。その後ネオ・キラクも『身体障害者小規模通所授産施設』となりましたが、自立支援法による障害福祉サービスとなった平成19年に、 二つをまた併せて「生活介護 喜楽家」として再スタートを切りました。

「当事者主体」――開設当時はこんな言葉を使ったわけではありませんが、喜楽家の底に流れているのは、まさに当事者主体――自分たちの想いを自分たちの言葉で伝えていきたい。健常者たちのお膳立てした中で活動するのではなく、自分たちで話し合い、行動していきたい――ということでした。介助の制度もない中で一人暮らしをしようという気概のある人が3人もいて、色々な経験を積んでいました。現在の「サービス」では、失敗は前もってガードされますが、当時は失敗することも経験の一つでした。その活動は、遅々として進まなかったり、想いを出しすぎて批判を受けたり、なかなか理解されない面も多かったけれども、責任を持って活動している人たちは、とても楽しく生き生きとしていました。喜楽家がおこなってきた活動の中でいちばんはサマーキャンプ、そしてバザー、コンサート、高尾山山登り、オーストラリア旅行……いずれも法人化前ですが、お金のない中だからこそのエネルギーだったのではと思います。一つ一つの解説は別の機会に譲るとして、どれも自分たちの想いを実現させてきた活動だったことは確かです。スタッフはいつも支える側にまわってきました。その想いは今も残していこうと努力している日々です。今の「サービス」では努力しないと当事者主体になりません。それでも今も電車で外出する際など利用者の皆さんが中心となって動いています。先人より培ってきた当事者主体の考え方に基づく活動をもっと引き継いでいかなければなりませんが、そこが法人格をとり、法に則ったサービスとなった喜楽家の悩みでもあります。

また、開設当初から、「お金がない」のが喜楽家でした。バザーをし、賛助会費を募って、松戸市からの補助金、県と市からの補助金と少しずつ増えてきましたが、法人化しても苦しい経営は続きました。大きな行事をするときには、駅でカンパ活動を行って資金を捻出しました。法人化しても、この「自立支援法」になるまでは、あまり変わらない状態が続いていたので、作業所を二つにして補助金を増やす努力をしたりしてきました。「自立支援法」で初めて重度の障がいを持つ人の通所の施設として「生活介護」が法的に認められ、一人ひとりに障がいの程度に合わせて給付されるようになり、手厚い介助をすることがやっとできるようになりました。

最近、喜楽家から久々に一人暮らしを始める方が誕生しました。その支援をしながら思うことは、サービスは以前に比べて格段に増えてはきましたが、人々にボランティアをしようという余裕は減っているのではということです。「介護の専門性」ばかりを追求せず、障がいのある方たちが広く当たり前に受け入れられるよう、ますます外に出ていかなければならないと感じています。開設当初から変わらずに、喜楽家の存在を広く地域に知ってもらうようにこれからも活動していきます。

組織図

(こちら組織図をご覧ください。)

主な事業:第二種社会福祉事業
喜楽家(生活介護事業)
第2喜楽家(生活介護事業)
ぽちぽちいこか(共同生活介護)
ザザビー・ドゥ(生活介護事業)
れいじ~(居宅介護・重度訪問介護)